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地獄車 [地獄門] | ROTTEN ORANGE


 

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●最初の目的だった、思い出作りでは終わらなかったんですね。

下條「最初のライヴがしょぼかったんですよ。リョウジンが無茶振りして、飛び入りでライヴしたんですけど、思いっきり反応が少なくてですね、そのリベンジを果たしたいがためにライヴを続けたっていうところはありましたね。凄くみんな冷めた目で見ていたんですよ。それが悔しくてですね、次のライヴは絶対に盛り上げてやろうって」

●最初から満足していたら続かなかったかもしれないですね。

下條「ああ、それはありますね」

●当時の沖縄シーンは、どんな感じだったんですか?

リョウジン「あんまりハードな音を出しているバンドが、90年代の頭はいなかったっていうか。いたんですけど、県外のバンドと絡むような活動をしていなくて。僕らはフットワーク軽かったんで、どんどん誘われるようになっていったんですよね。ハードコアブームみたいなものがあったじゃないですか。そういう音を好きな人がやっているバンドが少なかったんです」

下條「あと、マサは、当時は僕らと絡んではいなかったんですけど、重い音のバンドをやっていたんですよね」

マサ一撃(G)「僕がやらなくなったら地獄車が台頭してきて」

下條「下地はマサの方が作っていたのかな」

●そんな中で、ガーリックとも出会うんですよね。

下條「そうです。地元のイベンターの方がヌンチャクの解散ライヴをブッキングして、ガーリックボーイズも一緒に来るよ、僕らも出ないかって。もちろん喜んでやらせて下さいって言って、それが最初ですね」

●初対面の時に、ガーリックを聴いていたとか、ロッテンからリリースしたいとか、アプローチはしたんですか?

下條「ライヴの打ち上げでデモテープをLARRYさんに渡しましたね。隣が空いていたんで、飲みながら、これ聴いて下さいって。でも、リリースしたいとかはなかったよな」

リョウジン「仲良くなりたいなあ、みたいな」

下條「ファン的な感じです」

●LARRYさんから見て、当時の印象は?

LARRY「ユルかったよね、とにかく。今と同じ曲はやってましたけど、メンバーは違ったし、リョウジンもドラムをやっていたんで、4ピースは4ピースやけど、今みたいなゴリゴリじゃなかったですね。ライヴを一緒にやりたいと思ったのは、何回か沖縄に行ってからじゃないですかね」

●じゃあ、リリースを考えたのも、もっと先のことですか。

LARRY「本人たちも、そんな感じじゃなかったんじゃないですか? 温度がそこまで……ベースとギターの子も、大学で沖縄に行っているんで、卒業したら帰るとか、そういう話をしていたんで。でも、行くたんびに気合いが入っていく感じがしたんで。汁が出まくっていたよね(笑)。で、ヤられました」

●実際に熱が上がっていったんですか?

下條「そうです。欲が出て来ました。下心が(笑)」

リョウジン「僕、最初はドラムだったんですよ。でも、県外のバンドさんとライヴをすると、実力の差を思い知らされるんですよね。ライヴはちゃんとやりたいんで、ちゃんとドラム叩ける人を入れようって思うようになっていきました」

下條「元々リョウジンはベースだったんですよ。何故地獄車ではドラムだったかっていうと、ドラムをやったことないからっていう」

リョウジン「周りにハードコアが好きな人がいなかったし、自分はバンドをやりたいので、手っ取り早くドラムをはじめて。ガーリックを見た時も、演奏が凄くタイトで、こうなりたいっていうのはありましたよ」

下條「当時のベースとギターには悪いけど、大学を卒業するし就職もするから、もう辞めるって言われていたんで、でも僕らは続けたいから、リョウジンはベースになって、ギターとドラムをちゃんとした人を入れようと。それまでぶっちゃけ僕らは素人だったんで。リョウジンは経験者だけどドラムは素人、僕もベースもギターも素人だから、経験者に声を掛けて、売れ線を狙っていこうと(笑)」

●そういう努力を積み重ねて、ロッテンからリリースが決まったんですね。

下條「そうです」

●どんな心境だったんですか?

下條「いやもう、信じられなかったですね。嬉しかったです」

●LARRYさんから見て、リリースの決め手は?

LARRY「音楽的に番外地的なところがあるじゃないですか。住所を与えられていない的な。うちらもそうだったんで、シンパシーを感じたのかな。ロッテンオレンジは、そういうバンドが集まってきてくれたら面白いとは思っていたんで、ここにもいた!って。そこに、さっき言ったように温度も兼ね備えてきたので」

●そこから、全国区で知られていくわけですね。

下條「そうですね。初めて僕らが県外に行ったツアーも、ガーリックボーイズに誘われてでしたし。ノウハウもなかったんですけど、ありがたいことに声を掛けて頂いて。その前に一本だけ、福岡でやらせてもらったことがあったんですけど、続かなかったんですよね」

●そうしているうちに、だんだん沖縄シーンが盛り上がりだすっていう。

下條「いつの間にか盛り上がっていった感じがしましたよ。だんだんハコがいっぱいになっていって、県外からバンドも来るようになって」

リョウジン「アルバムを作る前に、LARRYさんにも渡したデモテープを作ったんですけど、その売れ行きがわりと良かったんですよね」

下條「そうそう。当時ね、ダブルカセットでダビングしていて、100本作った? それがすぐになくなったんですよ。1、2ヶ月持つかと思っていたんですけど、またダビングするのか、って」

●いろんなバンドが県外から来るようになったところも、大きいんですかね。

下條「それも大きいでしょうね。今ほど情報がなかった時代なので、県外からバンドが来ることもなかなかなかったのに、雑誌でしか見たことがなかった方々が、頻繁に来てくれて沖縄も活気づいたと思います。大袈裟に言うと、海外からバンドが来たみたいな感じはあったと思いますよ」



 

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